
ソニックガーデンのファミリー企業である「ジェントルワークス」代表の串田幸江さんに突撃取材。初めて串田さんにお会いしたのは、2013年のソニックガーデン金曜恒例まかないランチの取材時でした。倉貫社長と藤原副社長の調理にダメ出しし続けるこの女性が何者なのかは謎のまま、その数か月後、ソニックガーデンのグループ企業であるジェントルワークスが誕生し、串田さんは代表に就任!私は彼女の元で働くことになっておりました。「社長!」と呼ぶより、なぜか「ボス!」と呼びたくなる串田さんに、色んなお話を聞いてきました
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現状への不満が理由の転職は、辞める決心がつかない
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まずは読んで下さる皆様へ自己紹介をお願いします!

48歳で起業を決意したという串田社長。
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15年プログラマをしてから少人数企業に転職、そして最後に起業した女性って、けっこう異色な気がします!プログラムお好きですか?

好きですね。でも、ヘタクソだったので極められなかったです。ヘタクソといっても、学ぶのが上手くなかったのですね。だから上達しなくて、限界を感じました。あまり学ぶ環境になかったのか、そもそもプログラミングを極めるという考えに至りませんでした。いわゆるサラリーマンマインドだったのでしょうね。
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でも、「極める」という発想が無いというのが、もしかしたら普通の環境なのかもしれませんね。極め続けることが当たり前のソニックガーデンが変わっているのかもしれません。

そうだと思います(笑)
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ちなみに一回目の転職では、何を思っての転職でしたか?

新卒で入った会社で、プログラマとして18年9ヶ月在籍したのですが、その間に3回ほど会社を辞めようと思ったことがあったのですね。前の2回は、現状への不満で辞めたいと思いました。そういう理由って、腹は決まってないので、結局撤回しました。
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揺らぎますよね。3回目の転職を決意したのどういった気持ちだったのでしょうか?

はい。最後に決めたのは、もうあの会社ではやり切った、という思いが強くなり、会社に不満はないのだけど、もっと新しいことがしたいと思ったので、辞める決心がつきました。
開き直ったら自分で会社やろうというところまで辿り着いていた
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それで次は少人数企業に転職したのですね!少人数企業はどうでしたか?

しんどかったです、いろんな意味で。
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意外な答えが!

正直、ぬるま湯に浸かった19年弱で、本当に社会の厳しさを味わったことがなかったので、成果を求められるという当たり前のことが、とても辛い経験でしたね。ただ、その厳しさを求めて転職したので、耐えましたね。でも、それがある意味失敗でした。
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失敗とは?

耐えちゃいけなかったのですよね。耐えるだけじゃ、足りなかったのです。その辛さを打破して、自分から何か新しいものを作り出さないと、成果にならなかったです。
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「耐える」というスタンスでは、生み出すことに繋がらないということですか?

いえ、プロセスとして「耐える」ことは必要だと思います。でもただ「耐える」だけって、結局サラリーマンのマインドセットでしたね。この辛い状況を我慢すれば終わる、とやり過ごす感じです。
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少人数企業にいる間に、その「耐える」から違う精神状態に移行しましたか?それが起業に繋がっている?

少人数企業で求められるのは、その辛さとか厳しさの中で、どうすればそれを打破できるかを、いつも考え抜いてアイデアを出して、実践して失敗して、また実践してを繰り返すことでした。その精神状態というか、開き直ったら自分で会社をやろうというところまで辿り着いてしまいました。
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辿り着いたって感じなんですね。起業の経緯は、後ほどもう少し詳しくお聞きしたいです。ちなみにその少人数企業ではプログラマではなかったということですよね?

はい。もうプログラミングは10年以上やってないですね、仕事では。マネージャーとかSEみたいな仕事してました。
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畑は同じなんですね。
お客様のお困り事に対して、ITを活用することで解決していく
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では続きまして会社紹介をお願いします!ジェントルワークスはどんな会社ですか?

メインの事業としては、スタートアップのような小規模な企業様の総務/経理/庶務などをwebを介してリモートで代行するサービスを行っています。
特徴としてはリモートで完結する業務に特化していることと、お客様に対してスタッフが固定して担当し、お客様の業務スタッフの一員として関わることを大事にしている点です。
特徴としてはリモートで完結する業務に特化していることと、お客様に対してスタッフが固定して担当し、お客様の業務スタッフの一員として関わることを大事にしている点です。
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経理や総務を外注する、というのは難しい部分がないですか?

昔は会社の大事な部分でクローズドな業務だったのは確かですが、ネットバンキングやweb会計サービスなどが普及してきたこともあり外注に積極的な企業も増えています。また、仕事の性質として、オフィスにいなくてもできる仕事ということもあります。それでも、業務量の多い企業様では専門の要員を雇用してやったほうが効率的なのですが、小さな企業様では、業務量も専門の要員を必要とするほど発生しませんし、中にはオフィスを持たない企業様もあるので、そういうお客様にとって使いやすいサービスにしています。
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では、提供するサービスは決まっておらず、対応できる限りなんでも!といった感じですか?

そうですね。お客様のお困り事に対して、ITを活用することで解決可能なのであればお引き受けする、というスタンスです。お客様の本業に比べて、周辺業務というのは決まった形式のものばかりではないので。ただ、経理関係は概ね同じような業務なので、お客様も導入しやすい範囲にはなっています。
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具体的にどのような業務依頼がありますか?

具体例としては、お客様のお客様から届くメールの、一次窓口などをする業務もあります。昔はメールを見るのは、固定のアカウントを設定したメールソフトでないと送受信できませんでしたが、Gmailをはじめとしてwebでどこからでもメールが使えるようになると、自宅でもメール対応ができるようになりました。
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たしかにそうですね!

とくにメール内容を複数のスタッフで共有する場合などは、サイボウズさんのメールワイズなど、ビジネスに特化した機能のあるサービスを利用したりしますので、お客様の業務をお助けできる仕事ができますね。このような業務をお受けするには、最も必要なスキルは「気配り」ですが、次には「ITリテラシー」ですね。
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「ITリテラシー」は長年IT業界に携わっていたからこその特長ですね!

なので、ジェントルワークスとしてはITを活用することを強みにして、事業を展開したいと考えています。
小さな会社の、後回しになりがちな部分をお手伝いしていきたい
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サービス対象はITに限られてしまうのですか?例えば「ある社長さんが女性で、子供の入園準備が間に合わないので、そこをフォローしてほしい」という業務は、ITから離れてしまうので、受け入れられませんか?

内容次第ですね。
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例えば、事前の通園バッグの裁縫などを引き受ける可能性はあるのでしょうか?

可能性がないわけではないです。どのような物を作るか、などをチャットやネットミーティングなどで打ち合わせし、成果物のできる締切さえ守ればよい、という内容であれば。継続してお付き合いのあるお客様からの依頼であれば、出来る限りのことには対応していきたいと思っています。
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なるほど!どんなお客様からのどんな依頼でも、なんでもかんでも引き受けるぞ!というわけではないのですね。そりゃそうですね(笑)

そういうのは大企業の発想ですよね。弊社がこれから会社を拡大する上で、戦略の作り方がソニックガーデンに似ていると思うのです。将来的になんでもできる会社になってもいいけれど、現段階のマーケティングとしてそれは妥当じゃない。
今は、まず分りやすい範囲を定義して、そこで特徴を生み出す段階だと考えています。あれもこれもやりますと範囲が広いのは、特徴を薄めてしまうと思っています。
今は、まず分りやすい範囲を定義して、そこで特徴を生み出す段階だと考えています。あれもこれもやりますと範囲が広いのは、特徴を薄めてしまうと思っています。
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では「企業様の総務/経理/庶務」という業務において、今後想定している具体例をもう少しお聞きしてもいいですか?今現在進行していなくてもけっこうです。「企業様の総務/経理/庶務 代行」ってなんとなく漠然としてしまうので。

例えば、ちょっとしたニュースの投稿や新商品のプレスリリース記事掲載などのホームページ更新ですね。小さな会社は、総務経理だけじゃなく、広報みたいな仕事も社長がひとりでやっていたりするので、営業以外のことはどうしても後回しになりがちですから、そこをお手伝いしていきたいです。
バックヤード専門のスタッフにキャリアパスを用意したい
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ちなみに、「時間と場所を拘束されない」リモートという働き方にこだわる理由何かあるのでしょうか?その辺りは会社のミッション・ビジョンと重なるでしょうか?

はい。そこを説明するためには、ソニックガーデンファミリーの話が必要になると思います。会社を作った所以にもなりますね。
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そうですね。串田さんと、ソニックガーデン代表の倉貫さんのご関係が私的にすごく謎だったので、その辺りも含めて、経緯・ミッション・ビジョンをお聞かせ下さい。

まず、ジェントルワークスは元々ソニックガーデンが、アルバイトとして雇っていたスタッフに移籍してもらって、スタッフになってもらっています。ソニックガーデンも総務/経理については手が回らずに自前でアルバイトを雇っていたのですね。それを事業化することで、他社の仕事も引き受けられるのではないか、ということが会社立ち上げの発想です。
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なるほど!

ソニックガーデンには「持たざる経営」というビジョンがあり、その根本は「コアコンピタンスを中心とした会社を作ること」です。そうすると、コアコンピタンスで働く社員以外のキャリアパスがなくなってしまうんですね。つまり、ソニックガーデンだとプログラミングがコアコンピタンス(*1)なので、プログラマ以外の人が、役員になることはなくなってしまいます。
*1. コアコンピタンス : 競合他社に真似できない核となる能力
*1. コアコンピタンス : 競合他社に真似できない核となる能力
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なるほど!バックヤードの会社で働けば、バックヤードの会社の役員にはなることもありえるのですね?

そうですね。ソニックガーデンの本社機能を別の会社にしたことで、そこではバックヤードスタッフにもキャリアパスを設定して、会社の成長に直接寄与することができるようになりました。そして、事業として成り立つ程度の業務量も得るために、他社のお仕事もお引き受けするわけです。
義母の介護と、リスクヘッジ。それが起業の理由
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そのバックヤード専門の会社の代表に、串田さんが就いた経緯はどういったものですか?

そこは倉貫さんとわたしの付き合いの歴史の話ですね。もともと倉貫さんとは、アジャイルのコミュニティでの知り合いでした。かれこれ10年近くになると思います。
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10年!長いですねーー!

当時はお互いにSIerの会社員でスーツ族でしたが、とある会社外の勉強会をするコミュニティで知り合いました。あくまで友人としてずっと過ごしていたのですが、わたしが会社員を卒業したいという話をしたときに、相談にのってくれたのが倉貫さんでした。相談する中で、少しずつ起業のアイデアが生まれてきて、また少しずつ練ってきて、最終的にジェントルワークスの主要事業になってきました。
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なるほど!そもそも串田さんに会社員卒業という想いがあったんですね!

そうですね。1つの会社で務めるということに、高いリスクを感じたからです。将来、夫の母の介護をしなければならないことは想定内で、それをサラリーマンをやりながら担うのは難しいだろうと。
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介護が大きな理由のひとつだったのですね。

かといって、専業主婦という選択も、夫に何かあった場合にはリスクになります。もう中高年ですし。そこで、会社勤めという考え方ではなく、単純に「働く」と考えたら、個人事業主とか起業という選択肢も出てきたわけです。
フルタイムのサラリーマンでは、拘束時間が長い上に、ちょっとした用事もままならないです。でも会社に属することなく働ければ、時間の調整は自分次第になります。日中のある一定時間を仕事に集中し、あとは介護や家事。また夜になったら自分のアイデアを練る時間に使うこともできます。
自分の時間と場所に制約を外せば、相当いろんなことをやれることに気付いちゃったんです。
フルタイムのサラリーマンでは、拘束時間が長い上に、ちょっとした用事もままならないです。でも会社に属することなく働ければ、時間の調整は自分次第になります。日中のある一定時間を仕事に集中し、あとは介護や家事。また夜になったら自分のアイデアを練る時間に使うこともできます。
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- ライティング:岡田由美子
- 早稲田大学第一文学部在学中より、物書きを目指してひたすらに原稿用紙に文字を埋める日々を過ごす。卒業後、EC系のベンチャーで新規事業の開発に取り組む。現在は二児の育児の傍ら、インタビュー記事や、商品紹介のキャッチなど、また文字の世界へと戻る。
90年代初めにIT業界に入り、制御/組込み系のプログラマを15年ほどやっておりました。社内で品質管理関係の部署に移動後スピード重視の少人数IT企業に転職しました。それが42歳でした。その後、47歳のときに退職し、48歳になる年に起業しました。