社長同士の居酒屋対談 ハンズラボCEO長谷川社長【前編】

外資系コンサルティングファームから東急ハンズへ、そして2013年IT子会社として生まれたハンズラボを率いるCEO長谷川秀樹さんと、ソニックガーデンのCEO倉貫義人による居酒屋対談。
本対談は、ハンズラボオフィシャルブログの「長谷川秀樹のIT酒場放浪記」の第2回として収録した内容を、ソニックガーデンからの切り口で記事にしたものです。
「長谷川秀樹のIT酒場放浪記」での記事はこちらです。本記事では、倉貫が選んだ2つのテーマで、長谷川さんにお話を伺いました。
想像している人生以外の世界へ、みんなを連れて行く

倉貫:
今日はお時間頂きありがとうございます。
長谷川さんには聞いてみたいことはたくさんあるのですが、その中から「社長の仕事」と「自分を変えた恩人」の2つのテーマについて、今夜はお話を伺いたいと思っています。
まず、長谷川さんが考える社長の仕事とは何か、何をすることが一番の責任であると考えていますか?

長谷川:
社長の役目というか、やりたいと思っていることは、「それぞれ自分の延長線上に見えている場所以外のところへ、社員のみんなを連れて行くこと」です。
みんな、自分はこういう人間で、こういう生活をして、これから先もこういう人生を送っていくんだ、と何となく思っている。そうやって想像している以外の世界に、強引になのか、いつの間になのか、コショコショくすぐってなのかは分からないけれど、連れて行きたいですね。
それは、社長の役目だと思っている、と言うよりは、やりたい。単純にやりたいし、自分もそうありたいです。

僕も同じような意味のことをよく言います。「半径3mのキャリアパスを超えていこう」と。
1m先に先輩がいて、2m先に課長がいて、3m先の窓際に部長がいる。それを見ていると、自分のこれから先の人生こうなのかなと思ってしまいがちですが、そうじゃない人生を生きるのは、とてもすごいことだし、おもしろいですよね。

「こんな世界があるんだ!」とか「どんどん違うところに行けるんだ!」というのを実感してもらいたいですね。
僕が一番楽しいのは、社員に「今度お前、この仕事だ」と、これまでのキャリアや人生からは想像もできないような役を伝えたときですね。みんなが「えー!!」って言って驚く瞬間が、一番楽しい(笑)

ザワッとさせるの好きですよね。それはね、僕も好きです(笑)
想像もしていなかった新しい世界へ、誰でも行ける

ある意味、諦めじゃないけど、人生こういうもんだと思っている人たちを、そうじゃない方向に変えること、目覚めさせること、それを喜びだと思うようになったのはなぜですか?そういう体験が長谷川さん自身にあったんですか?

そうですね。私自身がそういう体験をして、今この場所にいるからでしょうか。
コンプレックスを含め、今の自分の人生、よくやってきたなと思っているんです。元々持っている素養とか環境とかから考えると、よく頑張ってここまで来たな、と。
それは、たまたまそうなったわけではなくて、努力し頑張ってきたからであり、巡ってきたチャンスを必死に掴み続けてきたからこそ、今の自分があるんですよね。普通に生きてきて、こうなったわけではないんです。
だから、誰だって必死にチャンスを掴んで行けば違うところに行けると思っています。
新しい何かを言い渡したとき、最初は「えーっ!?」って言ってるけど、そのチャンスを掴んで行ってみたら、想像もしていなかった新しい世界に行っている。みんなには、その経験をしながら生きていってほしいし、私自身、これから先もそう生きたいと思っています。
とにかくテッペンを見てみたかった20代

長谷川さんは自分自身の人生で、新しい世界が開けていくという実体験をしてきたわけですね。

そうですね。若い頃と今とでは、ずいぶん違う世界、違う価値観で生きていると思います。
20代の頃は、単純に上に行くことだけを目指していました。大学受験の際も、三重出身なので三重大学が一番近いんですが、そこに入るのは、コンプレックスを持ち続けることになると思いました。だから東京の大学を選びました。一番の都会に行きたかったわけです。
上京してから住む場所を選ぶ際も、とにかく山手線の真ん中に住もうと思ったんですよ。それで中央線から中野に向かったら、意外に緑が見えてきて驚くわけです(笑)

東京砂漠、コンクリートジャングルを期待していたのに、想定外の自然がいっぱいだったわけですね(笑)

そうなんです。これじゃ名古屋と変わらないと思い、それじゃあ一番の真ん中の水道橋にしようと思い、そこに住みました。
それからまず初めに行ったのは、六本木の一番高いレストラン、それから新宿にある当時一番高級だったホテルなんかにも行きました。その流れのままテッペンを目指し続けて、外資系コンサルティングファームに就職しました。
社会人になってからもテッペンを見てみたいという気持ちは消えず、新幹線だったらグリーン車に乗ったり、飛行機も絶対ファーストクラスに乗りたくて、調べたら150万もかかるんですけど、乗りましたよ。でも、必死でマイルを貯めて乗ったんですけどね(笑)
煩悩が消え、黒い世界から白い世界へ

ギラギラした外資系コンサルティングから、なぜ東急ハンズへ転職されたんですか?

理由はいくつかあります。
ひとつは、私にはコンサルタントが向いていないと分かってしまったんです。コンサルタントの重要な仕事に、ペーパーワークがあります。一週間近くかけてFACTとDATAをまとめていくんですが、ある意味ではコンサルティングの心臓部に当たります。でも、私はそれが苦手だったし、やる意味を感じられなかった。
もうひとつは、若い頃に一通りテッペンというものを経験したせいか、煩悩が削がれて消えてしまったんです。これから先は社会のために何かやろう、それくらいしかもう欲求はないな、と思えてきたわけです。
そこで、V字回復をやりたいな、と。カンブリア宮殿とかガイアの夜明けとか見ていると、Ⅴ字回復の話出てきますよね。あれ、やりたいな、と思ったんです。
コンサルティングファームにいると基本的にV字の仕事は来ないんです。企業は業績が悪くなると、人が余り、お金はない状態になる。そういう場合、ファンドが入って全部やり直せと言わない限り、内部プロジェクトでどうにかしようという流れです。
業績に勢いのあるときこそ、お金もあって、コンサルタントも入れてというようになるので、コンサルタントをやっていると、勝ち馬に乗るパターンが多いんです。

そのコンサルタント業界の闇みたいな話は、それはそれで面白いですね。うん、確かにその通りだ。ある意味、勝てる勝負しかしないのがコンサルタントなんですね。ずるいな〜。
長谷川さん自身は、そういうところから離れてしまって、ずいぶん変わったわけですね。

そうですね。大学生のときは、ボランディアをやってる友人とかに「偽善者なんじゃないの?そんなことやってる暇があったら自分自身を磨くほうが優先でしょう」なんて言っていたくらいですから。まさか自分がこういう方向性にいくとは思ってもいなかったですね。白か黒かで言ったら、黒い世界で生きていくのかと思っていました。

ブラック長谷川から、ホワイト長谷川へ転身したんですね。ブラック長谷川のままだったら、私は友達にはなっていなかったかもしれません(笑)
ファーストクラスにも乗ったし、行き着くところまでいって煩悩がなくなったところに、東急ハンズさんから話があったんですか?

はい。当時の東急ハンズは、業績も芳しくなく、大掛かりな業務改革中でした。システムの横展開も途中でストップしてフリーズ状態でした。そこで、外部から人材を入れようという話になっていたんです。
100万倍楽しく、100万倍努力している新しいステージ

東急ハンズに入ったのは、大きなターニングポイントでしたね。

そうですね。まさしくターニングポイントでした。
転職してからの方が100万倍楽しいし、100万倍努力しています。コンサル時代は、努力の方向が、必要があると信じられないペーパーワークでした。今は必要だと思えること、意味があると思えることだけに集中できます。努力の内容に満足できています。
ハンズにきてから自分がやりたいと思ったことと、会社の方向性が一致する。話をしていて「じゃあ一緒にやろう、じゃあ教えてください、じゃあお金払いましょう」とスピード感を持って進めていけますね。

コンサルタントとの違いは当事者であるか否かの違いですよね。僕も、コンサルティングは苦手なんです。つい自分でやりたくなっちゃう。アドバイスしてる場合じゃなくなっちゃうんです。

私にとっての社長としての考え方、在り方など、現上司元上司含め、色んな上司の影響を受けていたりします。
例えば、私が第三者的な物言いをするとき、自分が決めたくせに「決まったらしいよ」という物言いをするときは、元上司の影響を受けています。今までの自分が受けてきた教育や環境があるからこそ、今の自分に育っているんだと思います。