浜松から新メンバーがジョイン!技術的なチャレンジを求めてソニックガーデンへ【前編】

今回は浜松からジョインした新メンバーに代表倉貫がインタビューを行いました! 前職ではCAD等の専門的なソフトウェアを開発していたという大野浩誠(おおのひろまさ)さん。どのような経緯でソニックガーデン入社に至ったのかお聞きしました!
目次
自分でプログラムを書ける方がカッコイイ

まずは自己紹介からお願いします。

大野浩誠といいます。年齢は32歳です。今、静岡県の浜松市というところに住んでいて、リモートワークという形でソニックガーデンの仕事をしています。生まれも育ちも静岡県の浜松市で、学生時代の6年間だけ東京に住んでいたんですけど、就職するときにまた地元に戻って、それからずっと浜松市で過ごしています。

東京の大学を出たら、就職も東京でする人が多いですよね。

もちろん東京で就職活動はしてましたけど。

いいところが見つからなかった?

そうですね。SIerなど受けたりしたんですけど、プログラムを自分で書かないところはダメだなと思っていたんです。だから、そういう会社がちょうど地元にあると知って、興味を持って入ったというのが、きっかけですね。

『プログラムを自分で書かないとダメ』って、なんでそんなことを思ったんですか?

自分がプログラムの勉強をしていると、新しい本を読んで新しい書き方や新しい設計を学んだときに、明らかに学ぶ前の自分よりも良いものを書けるようになっているんです。ということは、「プログラミングって誰にでもできるわけじゃない」ということに気が付いたんですよね。手を動かして書ける方が偉いって言ったら変ですけど、学生のときは「いや、そっちの方がかっこいいだろう」と思ったんです。
ゼロから生み出せる面白さにハマった

大学4年から始めたプログラムですが、なぜプログラムを書ける方がいいと思えるぐらいに、のめり込んだんでしょうか?

それまでの人生で、自分の手を動かして何かをつくる、例えば図工とか美術とか、あとは中学で本棚とかをつくる授業があると思うんですけど、ああいうのが全然ダメだったんです。でもプログラミングならできるぞ!と思ったんですね。ゼロから生み出せるというのが、かなり自分に響いて「これは面白い」とハマったんですよね。だから、始めるのは遅かったんですけど、そこから急激にガッと入っていった感じです。

ものづくりというか、ソフトウェアでのものづくりが面白かったわけですね。最初は何をつくったんですか?でも、大学だから、研究的なプログラムで、そんなに面白いプログラムを作れたわけじゃないですよね?

もともと研究なんですけど、研究で使わなきゃいけないものの1つにOpenGLがあったんで、見て分かるんですよね。だから、「じゃあ、これを使って何かやってみよう」ということができたので、そのときたまたま買ってきたのが、ゲームAIうんたらっていうオライリーの本だったんですけど、それを見ながらAI的な動きをグラフィックス上で動かして、自分で入力を入れたりしながら操作したりということをやりました。だから、形に見えるもの、研究でも使えるような要素、技術を使って遊びができたので、面白かったですね。

見た目系の?

はい。見た目系がやっぱりいいですね。今も見た目系で(笑)

じゃあ、アルゴリズムどうこうとかよりも、どちらかと言うと、つくったものが動く、動く系が好きだったんですね。

そうです。動く系が好きですね。
専門的なソフトウェア開発会社で経験を積んだ

最初に入ったその静岡の会社、浜松の会社は、どういう会社だったんですか?

浜松という土地柄もあるんですけど、製造業向けのソフトウェアを作っている会社でした。

普通のSIerさんですか?

いえ、結構専門的なソフトウェアを開発していました。CADとか、それに関連する周りのソフトウェア、検査のために使うものだとか、検査、設計、デザインとか、その辺の周辺を埋めるようなソフトウェアを開発する会社でしたね。

受託?それとも、自分たちで企画して販売していたんですか?

それは両方あって、パッケージの部門も、受託の部門もありました。受託で培った技術をパッケージに反映するとか、そういったことも当然ありましたね。

大野さん自身は、そこに入って何をしていたんですか?

最初は受託の部門に入ったので、大手の自動車メーカーさんに近い、部品メーカーさん専門のシステムをつくるというのを2年ぐらいやってましたね。

そこでは、プログラムはできたんですか?

基礎知識が他の人よりも多かったのかは分からないですけど、「じゃあ、ちょっとこの機能をやってください」といきなり本当に丸投げみたいな形で振られて、ガーッと書きました。
効率化するのが好きで、勝手にやっていた

その会社では、開発プロセスはどういう感じでしたか?わりとかっちりした感じなのか、それともゴチャゴチャと開発しちゃう感じなのか?

中間じゃないですかね。一応それなりにしっかりしようというのはあるんですけど、よくあるウェブ企業とかよりは最新技術の取り入れは当然遅くて。僕が入った2008年ぐらいは、例えばバージョン管理ではVisual Studio付属のVSSとかを使っていました。

VSS、懐かしい。

VSSもバグだらけだったりして、ファイルが消えたりすることもあって。その頃から「VSSはまずいぞ」となって、ようやくSubversionを導入し始めたんですけど、たぶんその頃、早いところはきっと使い始めてる。そのぐらいのタイミングです。

時間的には、そうですね。99年入社の私がVSSを使ったかな。2001年ぐらいには、もうCVSからSubversionに移ってた気がします。

そうですよね。2008年に「VSSがやばい」となって、Subversionの導入は、1年後に僕がやりましたから(笑)

会社の中でそういうことをやる人は他にいなかったんですか?だから、大野さん自身が先進的に?

そうですね。いるんですけど、そんなにやりたがらないというか。僕はそういうのを効率化したりするのは結構好きなので、ちょっと勝手にやってみて様子を見ることは多かったですね。
自分がダメだと思ったら変えたい

効率化したり、良くするのが好きなのっていつからですか?そういう傾向って、ハッカー気質からくるんじゃないかと思っていて。

エピソードとして直結するかは分からないですけど、高校のときには授業はあまり聞いてなくて、当時ADSLが普及し始めた頃だったんですけど、「あれとこれとこの参考書がいいらしい」というのを掲示板で集めてきて、授業中にそういう参考書をやってたりしたので、それも近い話かなとは思いますね。高校の頃にはそういう発想は既にあったんですよね。人に合わせるのが苦手なところがあるんですけど、それがいい意味で出てるのかなと。自分がダメだと思ったら、ダメだから変えなきゃいけなくなるんですけど、そのハードルがすごく低いんです。言い換えると、短気というか。

ハッカーのいい気質をしてそう。短気な感じはしないですけど。

いや、短気ですよ。しょうもない話をすると、お弁当とかを買うと、セロハンテープが両側に付いてるじゃないですか。裏にキュッて回り込ませて、ぴったり貼り付けてあるんですね。あれが取れな過ぎて、いつも怒っているんですよ。

(笑)最近のコンビニのお弁当はハックされていて、引っ張らなくてもプチッて手で切れます(笑)

コンビニはいいですね。スーパーのお弁当はダメですね。最近は妻が外してくれます。

優しい(笑)

一瞬だけ、めちゃくちゃ機嫌が悪くなるので(笑)寿命がちょっと縮む感じがするので。
刺激を求めて東京行も考えた

ご家族は、今どういう家族構成ですか?奥さんの話が出たので。

妻と3歳の娘がいます。

奥さんも浜松の人?

そうですね。妻も地元は浜松で、出会ったのも浜松ですね。

奥さんと結婚するために、浜松に戻ったんですか?

妻とは最初の会社にいた頃に出会ったんですけど、その頃、やっぱり浜松は面白くないから東京にでも行こうかって思ってたんです。

刺激が足らんと?

刺激が足らんなと(笑)刺激が足らんなと思ったんですけど、ちょうどそのときに結婚しようかどうかという話になり、結婚して浜松に残ることになったんです。僕も妻も地元が浜松市なので、その方が親も近くにいるし、いいだろうということで、無理に動かない選択を取ったわけですね。

東京に行くか、奥さんと結婚するかっていう。

そんな感じです。
昔からおせっかいで短気。いいものはみんなに教えたい

その会社は、どれ位いたんですか?

その会社は4年ですね。

4年間いて、Subversionを入れたりとかしていたんですね(笑)他にそういう活動は?

Windowsだったんですけど、便利なフリーソフトっていっぱいあるのに、みんなそういうのをなかなか使っていなくて、デフォルトな人が多かったんです。みんなエンジニアだったんですけど、「もっと色々あるのに、なんでそんな不便なことをグチョグチョやってるのかな」と思っていたので、何かの機会で「俺が使っている便利なのはこれだ」という資料をつくって、みんなに配りました(笑)

そのモチベーションはなんだろうね。自分がハックするのはいいんだけど、「会社をよくしよう」みたい気持ちがあったんですか?

会社自体は別によかったんですけど、それをちまちまやってる人を見るのが辛かったというか、もっといい方法があるのになと。お節介なんですね、たぶん。

自分のいいと思ったものを、みんなに教えたくなる?そのお節介は昔から?

そうですね。昔からお節介な気がしますね。

短気でお節介(笑)

おもてなしとかするのが好きなので、誰かがうちに遊びに来てくれたら、料理とかを振る舞いたいですよね。ママ友が遊びに来て、昼飯をつくったことがあります。昼間に家にいるだけでビックリなのに、ご飯が出てきたみたいな(笑)
技術的なチャレンジをするために、会社を辞めて独立

そこからどんな転機が4年後にあって、その会社を辞めることになったんですか?

同じ会社にいた5人、同期とか、年が近いメンバーで、色んな事情で会社を辞めることになったんです。そこで、同じ浜松に会社を別につくって独立して、またソフトウェア開発の仕事をするようになりました。

それは5人で、会社を立ち上げたということですか?東京ではなく、浜松で?

そうですね。浜松に出した理由は単純で、みんな浜松に住んでいて家族もいたので、動きにくかったというのが一番ですね。もう1つの理由としては、同じように僕らがそれまでいた会社を辞めて、新たに立ち上げている会社が何社かあって、ある種兄弟みたいな感じで、最初はいろいろサポートしてもらったりしやすかったので、浜松にいるメリットはありましたね。

その5人の会社って、結構小さい会社になるじゃないですか。それまで会社に所属していたところから独立するって、本人の気持ちであったり、ご家族の反応は、どんな感じでしたか?葛藤もあったでしょうし、勇気も必要でしたよね?

葛藤はありましたね。タイミングもなかなかすごくて、妻が娘を妊娠している最中で。もうあと3カ月、4カ月で産まれるねというときに「いや、ごめん。ちょっと会社を辞めようと思う」って(笑)

いやいや、刺激を与えちゃいけない時期ですよ。もう身重の。

そうですね。「ごめん」とか言いながら(笑)「いや、でもね、もうたぶん辞めるよ」みたいなことを言って。結構悩みましたけど、残っていることによっていろんな機会を失っている気がしたし、もっといろんなことをやってみたい。それこそ、もう多くの人がiPhoneとかを持ち始めていた頃で、そういった開発もやってみたかったんですけど、その会社に残ったままではなかなか機会ないと思ったので。

技術的なチャレンジですよね。

そうですね。技術的なチャレンジをする機会がどうしても減っている状態で、それはもったいないなと思って。ちょっと大変な時期だけど、妻には諦めてもらって(笑)
自分が触るシステムをつくれることが、嬉しいし、楽しい

実際の生活もちょっと大変でしたけどね。金銭的にも辛くなるので、借りていた部屋を出て、妻の実家に住まわせてもらったりしながら、なんとかしのぎましたね。そういう意味で、いろいろ迷惑をかけました。

生活はだいぶ変わりましたか?仕事の内容として、それまでは開発をしていた人が、経営というか、営業というか、仕事を回すところから全部やらなきゃいけなくなったわけですよね。「思っていたのと違う」とか、「いや、やっぱりよかった」とか、どんな気持ちでしたか、独立して?

基本的にはよかったですね。仕事を自分で取ってこなきゃいけないとか、暇になったら何か仕事を探したりとか、そういうことをしなきゃいけないプレッシャーはあるにはあるんですけど、その分仕事を選べるといういいところもあって。新しい技術へのチャレンジだとか、そういうことを積極的に選べるようになったので、それはすごくよかったですね。

新しい技術をやりたいというモチベーションはどこからわいてくるんでしょうか?普通の人は、技術は好きだけど、仕事だからやっているという部分が大きいと思うんです。でも大野さんは技術で仕事を選んでいる。てんびんにかけたときに技術のほうが重たいわけで、技術に対するモチベーションが何かあるんですよね?

自分が触るものに関わることが嬉しいんだと思うんです。自分が使う、例えばiPhoneのアプリをつくるとか、ウェブのシステムをつくって自分で使う。そういう自分で使えるものをつくれるというのが、嬉しい、楽しい、というのがモチベーションになっていて、だからこそ、よりそっちに寄っていきたかったんだと思うんですよ。でも、製造業さん向けのソフトウェアってどうしても自分では使わないので。

自分は使わないからね。スマホだったら、自分が消費者であり、提供者になれる。
抱えていた問題意識にチャレンジしていたソニックガーデン

ソニックガーデンを知ったのは、いつぐらいですか?

知ったのは、僕が独立したのが2012年で、その次の年、2013年の秋ぐらいにたまたま知ったんです。そのときちょうどあるお客さんの仕事をしていたんですけど、費用的にうまくいかなくて。担当しているのは僕1人だったんですけど、かなり大変な状況になってしまっていて、原因を振り返ったときに「これはそもそもどこまでつくったら完成か分からなかったんだから、何百万とか最初に決めてお金を頂く形では無理だったな」と思ったんです。「継続した分だけお金を頂くやり方にしなきゃいけなかったな」と。そこでいろいろ調べていたときに、ドンピシャのことをやってる人たちがいて、それがソニックガーデンでした。

約束を決めて「やる」と言ったら、もう大体あふれちゃいますよね。

そうですね。その時、ちょうど抱えてた問題意識にチャレンジしているというか、それがないようなやり方を取っているというソニックガーデンを見つけて、興味を持つようになったんです。

それが2013年ぐらい?ソニックガーデンは、もうそのときは3年目ですね。

それが初めて知ったときなので、そこから興味を持っていろいろキャッチアップして、メディアを見たりしていました。

門を叩いたのがいつでしたっけ?

そのまた1年後ぐらいの2014年の6月です。
自分でやった分しか学びがない環境を変えるために

このときは、何かきっかけがあって?

そうですね。先ほどお話した通り、個人単位で仕事をすることが多かったので、自分でやった分しか学びがないですし、知れることも自分がやった範囲なので、なかなか自分が成長できていないような感じがしていたんです。そんな中で、興味を持っていたソニックガーデンが、仕事の受け方的にもすごく実践的なことをしているし、あと、技術者としてもチームでやったり、技術力が高い人が沢山いらっしゃったり、取り組み方や価値観がすごくいいなと思ったので、当時の仕事のやり方から変わりたいなと思ったタイミングで声掛けをさせてもらいました。

それが2014年のことなので、今年2016年に入社に至るまで結構長かったですよね。何があったんでしょうか?(笑)

長いですよね(笑)最初に声を掛けてから2~3カ月ぐらいは、いわゆる採用じゃないですけど、面談したりだとか、試験のようなものをやったりとか、一緒にちょっとした開発をやってみたりとかしていたんですけど。

そうですね。当時まだトライアウトはなかったですから。

トライアウトはなかったですね。3カ月ほどやって、本腰を入れてやってみようかなというタイミングになったんですけど、ちょうどそのときに当時いた自分たちの会社の方でやりたいことができたので、「いったん待ってください」とお願いして、それから1年弱、採用プロセスを止めてもらって、自分たちの自社事業のほうに集中したという経緯がありました。

そうでしたね。「やり残したことがある」と言ってましたよね。
採用プロセスの中で、「自分はどうしたいのか」考えさせられる

やり残した思いがあって、そのやり残しを1年やり切ってきたから、もう1回採用プロセスの続きをやろうとなったんですよね。

そうですね。1年たってやり切った結果、もう1回やっぱりソニックガーデンで一緒にやりたいという思いがまだあったので、「再開します」ともう1回声を掛けさせて貰いました。

くすぶったままやるよりも、やりたいことがあるならやってからの方がいいかなと思うんですが、今後ソニックガーデンに入ろうとしている人たちに対して、そういうアドバイスってありますか?

ソニックガーデンの採用プロセスはすごく長いので、必然的に「自分はどうしたいのか」考えさせられるんですけど、迷っている状態だったら、まだ何か今やっていること、前やっていたことに未練があるような気がしますね。僕が採用プロセスを再開して、いざ実際に契約を結ぶ段階になったときには、全然そんな迷いもなく、「いや、当然もう入りますけど」という気持ちになっていたので、もう100%「いいよ」と思うまでは何か引っかかっているところがある気がします。なので、その引っかかりが何かを見つけて、気が済むまで取り組むとかした方がいいんだとは思いますね。

そうですね。ソニックガーデンの場合は、「入りたい」と応募者が来ても、すぐには「入りなよ」とはならず、採用プロセスが長いので、応募した人も「あれ、本当にいいのかな?」と考えることになりますよね(笑)長いのは僕らも自覚はしているんですが、受ける側からするとどうですか?自分自身を顧みれてよかったのか、「いやいや、こうした方がいいよ」という点はありますか?

いや、顧みれていいんだとは思います。ただ、ちょっと大変なだけです。

(笑)

それはあってもよい大変さなのかなとは、今は思ってますね。

そうですね。人生は長いので、長い人生を一緒にやろうと考えると、「1年、2年悩んでもいいんじゃないの?」と思うんです。これ、10年とか待つのは流石に長すぎですが。

いや、でも、待つのは大変ですよ。僕は結構気が短いので、車とかも、思い立ったら大体買う方向で動いちゃったりするので、そういう身としては結構なかなか大変でしたね。

- ライティング:岡田由美子
- 早稲田大学第一文学部在学中より、物書きを目指してひたすらに原稿用紙に文字を埋める日々を過ごす。卒業後、EC系のベンチャーで新規事業の開発に取り組む。現在は二児の育児の傍ら、インタビュー記事や、商品紹介のキャッチなど、また文字の世界へと戻る。