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これまでと違っていること、今までより新しいこと、それが大事 〜 インフラエンジニア安達のChange 〜

今回の主役は、CIOなのにお茶出しも厭わないし、いつも笑顔が絶えない、”インテル”こと安達さんです。彼は、ソニックガーデンただ一人のインフラ系エンジニアです。
ITエンジニアは、一般に異なる役割を持つアプリ系とインフラ系に大別されます。IT業界では、両者の組織間に交流が少なかったり、両方のキャリアを積む人が少ないのは常識だということで、門外漢から見ると思った以上に隔たりがあるようです。そんな常識が、ソニックガーデンではどんな風に「Change!」されているのか。
インフラ系のエンジニアのみなさんはもちろん、アプリ系のみなさんにもぜひ楽しんでいただきたいと思います。

遅咲きのコンピュータ・デビュー

まずは、安達さんとコンピュータの出会いについて、聞かせてください。ソニックガーデンのメンバーになるような人って、どんな出会い方をしているのか、とても興味があります。ちっちゃいころから、BASICでプログラム組んでいたとか…。
安達の顔安達
僕にはそんな期待に応えられるような思い出はありませんよ(笑)。最初に自分用のPCを買ってもらったのは、中学の高学年のころでしたね。Windows95のころです。ちなみに、僕、BASICは知りません(苦笑)。

安達さん、お生まれは何年ですか?
安達の顔安達
1982年の12月です。1995年は僕にとって中学3年生の年だったことになりますね。中学生のころは、よく知らない人とチャットしてました。高校でできたPCに詳しい友人が、ホームページの作り方を教えてくれて、少しずつはまっていきました。特に興味を惹かれたのは、コンテンツではなく、裏の仕掛けです。ウェブの場合、PC単体ではなく、サーバやネットワークを含めた割と複雑な仕掛けが連動するじゃないですか。僕は、自分のわからない仕組みの解明に惹かれるんです、「これってどんな仕組みになってるんだろう」って。
じゃあピタゴラスイッチみたいなの大好きなんじゃないですか?
安達の顔安達
え、ピタゴラスイッチって何ですか?やる気スイッチとかですか?
え、ピタゴラスイッチ、ご存じないんですか?もしかして、ソニックガーデンの方は、みなさんピタゴラスイッチご存じない……(安達さん以外みなさんご存じとのこと)……わけないですよね。ええと、ピタゴラスイッチっていうのは…
さて(気を取り直して)、なるほどホームページ制作ですか。やっぱり「プロフ」みたいなものを作ってたんですか?
安達の顔安達
何のホームページを作ったかは覚えていません。でも、そんな自己顕示欲が強いタイプでもないので、自分のことなんかではなかったはずです。それに、PCばっかりやっていたわけではありませんよ。
そうなんですか。ちなみに、安達さんは、中学、高校どんな部活動をやっていたんですか?
安達の顔安達
僕は結構なスポーツ愛好者でして、小学校のころはソフトボール、中学から高校にかけてはバレーボールとバスケットボールをやっていました。大学ではバレーボールとサッカーをやっていました。サッカーはサークルでしたけど。
サッカーはサークルってことは、バレーボールは体育会だったんですか?
安達の顔安達
ええ、一年ほどで辞めてしまいましたけれど。今も、ゴルフ、スノーボード、テニスって具合に色々やっています。一年に一つ新しいスポーツに挑戦することを自分に課してます。
まったくと言っていいほど、エンジニアの匂いがしてきませんね(笑)。
安達の顔安達
でも、大学は工学系の大学の情報工学部なんですよ。ですから、大学進学のころにはIT系をけっこう意識していました。理系に進んだのは、自分のあまりの国語力の無さに絶望した側面も多分にあるんですけれど(笑)。
大学ではどんな研究をされていたんですか。
安達の顔安達
学部生のころはデータベースの勉強をしてました。ただ、大学院に進むとき、研究室の先生が退官されることになりまして、ネットワークを専門にされていた有名な先生の研究室に移籍することになったんです。そこで、ネットワーク管理者もやらせてもらって、運用の基本を学びました。
大学時代が安達さんのインフラ系エンジニアの出発点だったんですね。どうしてインフラ系を選ばれたんですか?
安達の顔安達
うーん。アプリケーションにはまったくと言っていいほど興味が無かったのは確かですね。HTMLとかスタイルシートとか、どんなものなのか知ったのはついこの間のことです。
でも、そもそも、僕の大学にはインフラ系のテーマしかなかったように思います。僕は、もっぱらミドルウェア周りをやっていましたが、他の人たちはCPUの性能やネットワークの応答速度を上げるとか、もっとハードウェア寄りのことをやっていました。

就職のキーワードは「技術開発」

なるほど。では、倉貫さんたちとの運命の出会いになる、就職の経緯について聞かせてください。
安達の顔安達
就職先は技術開発部門のある会社って思っていて、その条件を満たすシステムインテグレータ数社から内定をいただくことができました。その中で大学院の一年生の時にインターンシップに参加したところを選んだんです。
今にして思えば、そのインターンシップへの参加が縁を取り持ったんですね。入社してみていかがでしたか?
安達の顔安達
とにかく、同期入社組にコンピュータのことを知らない人が多いことに驚きました。そういえば、アプリ系という世界を意識したのは入社した後のことでした。
それはどんなきっかけだったんですか?
安達の顔安達
希望が叶って技術本部に配属されたんですが、その後のOJT研修のときのことです。技術本部に配属された同期が、あそこにいる(手で示しながら)松村なんですけど、アプリ系研修の時は彼の方が飲み込みが早かったんです。
でも、後半はミドルウェアの領域だったんで、僕の方が手際がよかった。自分の強みはここ(インフラ系)にあるんだなって理解しました。
なるほど。入社された2007年といえば、すでにTCポータル(現SKIP)の社内運用が始まっていたと思いますが、インフラチームのみなさんはどんな役割を担っていたんですか?
安達の顔安達
当時は、僕らのチームも二つに分かれていて、倉貫さんが全体のリーダー兼アプリチームのリーダーで、インフラチームのリーダーは並河さんという方でした。並河さんに会って、僕はようやくインフラ系エンジニアらしい会話を楽しむことができたように思います。でも、二人は少しタイプが違いました。並河さんは、趣味の車いじりでもエンジンを載せ換えようというほどで、コンピュータにも同じように接する方です。僕は、仕組みがわかれば満足なので、PCだって自作は一度しかしません。
僕は本当にこだわりがないんですよ。こだわらないことが唯一のこだわりかも(笑)。話が少しそれましたね。
当時のインフラチームのミッションは、TCポータルの運用業務を担いつつ、当時注目されだしていた仮想化のような先進的な技術や、安定的に性能を引き出したり万一に備えてバックアップを取ったりするノウハウを習得し、社内に展開することでした。
社内ベンチャーとして事業活動に移行することは、インフラチームの仕事に影響を与えたんじゃありませんか。
安達の顔安達
どうでしょう。
当時一番影響を感じたのは、クラウド技術の普及ですね。例えば、PaaSのようなサービスを利用すると、プラットフォームの保守運用はSIの仕事ではなくなります。つまり、インフラ系エンジニアの仕事が減るわけです。それと同時に、アプリ系エンジニアの方に、プラットフォームに対する理解が求められるようになります。
僕たちの場合でも、インフラ系エンジニアの仕事は減っていきました。そして、並河さんは他の機会を求めてチームを去りました。他にもメンバーが8人から5人へと減り、縄張りや守備範囲といった意識が取っ払われていきました。

エンジニアとしてのこだわりは「面白いかどうか」

少し、インフラ系、アプリ系という二種類の役割について、お聞かせください。
他の方から「直接機能開発を担ってお客さまに直接的に喜んでもらう機会の多いアプリ系エンジニアはサッカーで言えば点取り屋のストライカーで、何ごともなく稼働させて当たり前、ダウンしようものなら厳しい批判に晒されるインフラ系エンジニアはゴールキーパーのような役回り」という喩えがありました。安達さんには、そういう意識はありますか?
安達の顔安達
喩えとしてはわかりますけれど、「縁の下の力持ち」という美学を持ってインフラ系に徹しているとか、「点取り屋」もやってみたいからアプリ系もやってみよう、みたいな意識は、僕にはありませんね。

インフラ系エンジニアをやりつつ、アプリ系エンジニアの役回りも回ってくるようになったとき、安達さんはどちらかのキャリアを追求したいとは思わなかったんですか?
安達の顔安達
思いませんでした。僕の場合「やるか、やらないか」は「面白そうか、面白くなさそうか」によります。
僕はもともと「知らない」ことに対する好奇心が旺盛なんですが、このときは自分のよく知らないアプリ開発という仕事を「面白そう」と思えたのでやってみました。で、やってみたら「なんだ、アプリ開発も仕事として楽しくやれるじゃないか」って思えたんです。だから、アプリ開発も、自分の仕事として捉えるようになりました。
でも、今にして思うと、倉貫さんが色々と気を遣って計算もした上で、僕がそう思えるようにアプリ開発の仕事を用意してくれたんじゃないかと思うところがあります。他のメンバーに仕事を割り振るときにくらべて、なんというかふわっとした感じでしたから(笑)。
ともあれ、こうして僕は純然たるインフラ系エンジニアから、アプリもできるインフラ系エンジニアに変わりました。
なるほど。安達さんのエンジニア観には、常識に囚われない、独特のこだわりが感じられますね。
安達の顔安達
自分では、こだわりのない男だと思っているんですけれど(笑)。アプリをやるようになって、それまで関心がなかったユーザインターフェイスや操作感といったデザインに関わることにも興味が出てきました。昔はぜんぜん興味が無かったのに。
それは、こだわりがないのではなく、柔軟性というか懐の広さというべきなのではありませんか。お話を聞いていると、安達さんは「インプットがあってアウトプットがある、その間の作用の関係性や仕組み」に惹かれるところがあるようにお見受けします。そう考えると、操作感、エクスペリエンスなどの「直感や主観だけでは片付けられないデザイン」の領域に、安達さんが惹かれるのは、私には大いにうなずけます。
ところで、エンジニアが両方の役割をやることは、組織にどんな影響を与えるんでしょうか?
安達の顔安達
以前いた、いわゆる大手SI会社では、開発をするアプリ系の人たちと、運用保守をするインフラ系の人たちがカベを作っていたように思います。それは、互いの領分を侵食せずに仕事をするには都合のいいやり方なのかもしれません。でも、そのために、大変な工数をかけた事細かな仕様書が必要だったり、顧客とのコミュニケーション効率が悪かったりと、デメリットもあると、僕は思います。そして、運用・保守を知らない人が作るアプリケーションは、性能がスケールしにくかったり、リリースしにくかったりする傾向もあります。バックアップ一つ取るのも効率が悪い上に、プロセスが複雑になったりします。
でも、運用・保守の意識・理解があるエンジニアが開発すると、本当に必要なバックアップだけを取る仕組みを組み込むことができる。結果的に、アプリケーションはとてもシンプルなものになります。実際、SKIPも最初のころのものより、ずいぶんとシンプルなものになっているんですよ。

こだわらないことが成長に繋がる

なるほど。それでは、インフラ系やアプリ系といったカベがまったくない世界、というのがいいのでしょうか。
安達の顔安達
誤解を恐れずに言えば、僕にとってアプリ開発をやるのは、イタリア料理のシェフが中華料理を勉強するようなものです。そうすることで、イタリアンに専念するよりおいしい料理が作れるはずだって思うんです。だから、松村にもイタリア料理、じゃなくてインフラの世界を知ってもらいたいんです。
そう思って、しばらく前から、ソニックガーデンでは、僕と松村の間で知識やノウハウを交換したり、色々なことを二人で話し合って決めるようにしています。
それでも、イタリア料理に自信があるから、無国籍料理へと看板を掛け替えようとは思わない、っていうことでしょうか。
安達の顔安達
そうですね。やっぱり、インフラ系エンジニアとしての強みは意識していますし、これからも意識し続けていきたいですから。

最後にこの記事を読んでおられるインフラ系エンジニアのみなさんにひと言お願いします。
安達の顔安達
どちらかにこだわらないことで、僕はエンジニアとしてのスキルが上がったと確信していますし、仕事もずいぶん楽しくなりました。僕と同じ考えを持つ必要はありません。むしろ、僕と同じ人でないほうがいい。人と違うことは大事なことだと思っています。でも、それと同じくらい、今までと違っていること、何か新しいことも大事だと思います。それが、僕にとっての「Change!」なんです。
ありがとうございました。

プライベートでも独身を貫く安達さんは、早婚派の多いソニックガーデンメンバーの中では異色の存在のようです。一人に縛られずに広く門戸を開放し続けているところは、未知のこと、新しいことに積極的な彼のエンジニア観と表裏を成しているのかも知れません。それにしても、本人が面白さ・楽しさの追求に正直なのに、組織にとっては守備範囲にこだわらない献身的なプレーヤーになっているというのが、とても印象的でした。

インタビュアー/ライティング:古田英一朗
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