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第4章 明暗を分けた2つの“雇用”から学んだ「価値観の共有」の大切さ

「納品のない受託開発」を掲げ、フルリモート勤務や管理しない組織など柔軟な働き方を実践するソニックガーデン。
メンバーへの取材をもとにその10年の歩みを追いました。

伊藤からの応募をきっかけに初めて採用のプロセスを経験することになるソニックガーデン。どのような過程を経て、伊藤はソニックガーデンに入社したのでしょうか。

そして、人を雇うことにおいて、ソニックガーデンは一つのつまずきも経験することになります。“誰と働くか”を考えることが、なぜ大事なのか。明暗を分けた2つの雇用から、多くの気づきをソニックガーデンは得ていきます。

4-1 必死

「Rubyは使ったことないです。仕事以外で何か作って公開するということもやってないですね…」(伊藤

倉貫の質問に、やや自信なさげに答える伊藤。内心は、「やべえ…」という焦りでいっぱいでした。場所は大阪のとある飲食店。倉貫の大阪出張のタイミングで、一度話しをしようと倉貫、伊藤が初対面した日のことです。

「一応、プログラマ募集については創業時からコーポレートサイトに書いてはいましたが、そこまで本気ではありませんでした。ただ、前田さんがすでにそのとき海外で働いたりしていたので、場所は不問としていました。そうしたら、最初の応募者の住所が兵庫県西脇市と書いてあって、どこだろう?って。まあ、とりあえず会っておこうかという感覚でした」(倉貫)

採用の仕組みもまだなかったソニックガーデン。技術的な条件だけを見れば採用は難しいように思えますが、倉貫は副業みたいな形からスタートしてみようか、と伊藤に提案をします。

「ブログを書き続けていたりして、プログラミングに対する熱意はすごくあったし、このままバイバイというのも何か違うかなと思いました。とはいえ、いきなり入社するのもお互いリスクがあるので、課題作品を作ったり、副業として一緒に何かを作りながら理解を深めあっていこうかなと考えたのです」(倉貫)

2011年12月に初めてRubyで課題作品を作った後、2012年1月、伊藤はQ&Aサイトの開発をスタート。週に一度Skypeでコミュニケーションを取り、隙間時間でRubyを勉強しながら、開発を進めていく日々が続きます。

ところで、副業という形ではあるので、報酬は発生するのですが、伊藤が勤めていた会社では副業は禁止。そこで、倉貫はある機転を利かせます。

「伊藤さんの奥様がパン屋さんを営んでいたんです。だから、そのパン屋さんに発注するという形で、開発費を支払っていました。明細だけを見ると、突然ソニックガーデンがパン屋さんにお金を支払い始めたことになっていて、面白かったですね」(倉貫)

楽しそうにこのエピソードを語る倉貫とは対象的に、伊藤はこの頃のことをよく覚えていないと言います。

「パン屋さんの話もたまに聞くんですけど、正直僕自身はそんなことあったっけという感覚なんです。その頃は、とにかく開発に必死でしたから。ソニックガーデンに入れるかどうかもわからないし、Rubyも習得しなきゃいけない。副業という形でしたが、正直お金はいらないよ…という気分でした」(伊藤)

どこか牧歌的なソニックガーデンとは対照的に、2ヶ月、3ヶ月と伊藤の必死な日々が続いていきます。

2012年5月、外苑前のオフィスからの引っ越し


4-2 7人目

「正直、1人目の採用に少し躊躇していたというか、素直に怖かったですね。顔なじみの6人から、新たに1人増えて7人になる。人を採用する、というのはいろいろな意味で重い判断なんです。それは、今も変わらないですね」(倉貫)

採用への戸惑いを感じながらも、熱心にソニックガーデンの“課題”に取り組む伊藤の姿勢は認めていた倉貫。一方の伊藤も、入社できるか、できないのか、判断がつかない状況の中でもがいていました。

「実はこの頃、他の会社の面接も受けたりしていたんです。ソニックガーデンに入れるかどうかも、まだわからない状況でしたから。その会社はサイト上の情報を見る限りはいいことが書いてあって、よさそうに見えました。でも、実際に面接に行って話を聞いてみると、普通の“残念なSIer”でした。逆に、その残念だった面接をきっかけに“絶対にソニックガーデンに入りたい”と覚悟が決まったんです。その面接の翌日に、『日帰りで、みなさんに会いに東京へ行きます!』と、ソニックガーデンに伝えて、アポを取りました」(伊藤)

東京へ行き、初めて倉貫以外のメンバーと対面した伊藤。コードレビューをしたり、職場の雰囲気を掴む「バーチャル職場体験」を通し、より深くお互いを理解していきます。

松村さんからは、一行一行に対してコードのフィードバックを受けたのは覚えています。この人、すごいなって。でも、『コードは結構きれい』と言われたのもすごくうれしかったですね」(伊藤)

この東京での1日以降、Skype以外のコミュニケーションツールも使い、倉貫以外のメンバーとも積極的な交流がスタート。こうした過程を通じて、開発スキルだけでなく、メンバーと協力しながらチームで仕事ができるか、という点も確認しあいます。

そして、いよいよ2012年4月、メンバー全員から「入社OK」が出たことで、正式な入社が決まります。

「伊藤さんには、『ソニックガーデンのこともしっかり選考してください』というのは伝えていました。こちらだけが選考するのではなく、入る側も我々の仕事ぶりや人となりをしっかり見てほしかったんです。じっくり時間をかけて、両者納得のいったところで入社が決まりました。このスタイルは、今の採用プロセスのベースにもなっていますね」(倉貫)

“内定”が出た2ヶ月後の2012年6月、正式にソニックガーデンの一員となった伊藤。倉貫との初めての面談から、8ヶ月が経過していました。

2012年6月、オフィスにて。伊藤の姿も


4-3 すごい経歴の派遣プログラマ

7人目を迎えたソニックガーデン。納品のない受託開発の受注も順調に増え、活気に溢れる日々が続きます。そんな中、西見はある懸念を抱いていました。

「私が担当する案件においてサーバーサイドの人間が、自分しかいなかったので、少し手いっぱいになってきていたんです。納品のない受託開発も、まだ今ほど洗練されてなかったので、お客様とのコミュニケーションでつまずくことも多々あった。そんな状況だったので、派遣社員を1人入れてみようかという話になり、スキルの高そうなプログラマを採用したんです」(西見)

「業務量が増えてきたため、派遣プログラマを短期的に雇う。できれば、スキルが高く優秀な人がいい」。会社経営においては至極まっとうな考えに思えますが、この判断が大きな災いとなってソニックガーデンに降りかかります。

さて、ソニックガーデン初の派遣社員として来たのは、イスラエルの企業で開発経験があるなど、履歴書上の経歴や技術スキルはピカイチに見えるベテランプログラマTさん。さっそく、コードを書いてもらい、ソニックガーデンのカルチャーでもあるコードレビューを西見さんが行います。

「もう、全然聞いてくれないんですよ、話を。コードレビューして、『こう書いた方がいいですね』とフィードバックしても、『そういう書き方もありますね』と突っぱねてくる。僕が年下だからというのもあったでしょうし、そもそもレビューしてもらうという経験もなかったのでしょう」(西見)

不穏な空気を感じつつも、“労働力”がほしかった当時のソニックガーデンは、ひとまずTさんに仕事を依頼し続けることに。しかし、1ヶ月、2ヶ月と西見とTさんの関係は改善されないまま時間が過ぎていきました。

4-4 最初で最後の

「このまま、Tさんと仕事するのは正直きついですね…」

倉貫とのふりかえりの中で、Tさんとの摩擦に耐えきれなくなった西見は危険信号を発します。倉貫もよからぬ空気は察していたので、「もう、やめようか」と、話はすぐにまとまることに。契約期間が終わるまで、影響力やコミュニケーションが少なく済む領域のプログラミングをお願いすることになりました。

しかし、その意向をTさんに伝えると「それだと、自分のパフォーマンスが発揮できないので、帰ります」と言い返してきたのです。

「その瞬間ですよ、倉貫さんが大きな声で『時間で契約してるのに何言ってるんだ!パフォーマンスじゃないんだよ!』って叫んで。見事な喧嘩別れです。倉貫さんがあんな大きな声を出すのは、最初で最後ですね」(西見)

履歴書上では“優秀”だったはずのプログラマが、ほとんど成果も残さず去ることに。最初で最後の派遣社員となったTさんとの遺恨は、倉貫にも、ソニックガーデンにも大きな影響を与えることになります。

「ソフトウェア開発と、製造業はやっぱり全然違うんだなということを学びました。例えば、工事現場であれば人手が足りず、短期的に人を増やすことはプラスになると思います。でも、ソフトウェア開発のような知識産業でそれをやってしまうと、マイナスになる。コミュニケーションコストもかかるし、何より価値観が違うとまともに仕事できない。労働力として、人を雇うことは、自分たちには合わないということを痛感しました」(倉貫)

「開発に対する価値観が合わないと、あれほど一緒に仕事するのが難しいとは思いませんでした。なんとかなるかな、と思っていたけど、短期間ですりあわせるのは無理です。だから、チームで仕事をする、というよりはタスクを与えてこなしてもらう形になってしまう。それは、ソニックガーデンらしくないよな、と学びましたね」(西見)

Ruby未経験ながらも、8ヶ月間かけてじっくりお互いの価値観を理解したうえで入社した伊藤。技術スキルは申し分ないものの、価値観の理解を無視し、労働力として雇用されたTさん。2012年に起きた2人の“雇用”にまつわる経験を通して、「価値観を共有しながら働く」ことの重要性を学んでいくソニックガーデンなのでした。

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